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「遥かに仰ぎ、麗しの」考察本校編 [かにしの]

思ったよりも長文になってしまったので分割。
「遥かに仰ぎ、麗しの」考察1
導入~本校系についてまずは、本校系と分校系の違いについて。

本校と分校で決定的に主人公が違う…と思いたい。
それについてはいちいち語るまでもありませんが。
シナリオライターが本校系では健速氏、分校系では丸谷秀人氏が担当しており、それぞれの範疇で自由に書いたのか本校シナリオと分校シナリオでは境遇が同じだけの全く別のタイプの人格を持った主人公になっています。

その他設定も一部異なるような気がします。例えば
本校での前任教師が辞めた理由…みやびに耐えられず
分校での前任教師が辞めた理由…結婚退職

あと、過去の語られ方も微妙にニュアンスが違う
本校
父「遊園地に行くぞ」
けれど辿りついた場所は親のない子供達のための養護施設だった
滝沢家に拾われて…献身的な人格の形成
捨てられた過去…人を信用しきれない

仲良くなって、人を愛して、それでなお再び捨てられる恐怖。


分校
司「母さんは言ったんだ。この子は幸せになれやしないわねって」
司「ごめんね。あなたのこと好きよ。でも、私自身ほどは、あなたのこと好きじゃないのって」
司「あんなにひどいことを言っていた母さんは、僕を笑っていた母さんは」
司「僕を見て泣いていた」

母親に幸せになれないと言われたことに対するトラウマが語られているだけ?


ということを念頭に置きつつ話を進めていきます。


本校系

本校のシナリオは極めて方向性がわかりやすい。
時を刻まない時計を眺めてのXさんの言葉を借りるなら

「互いの救済」 自分だけでは駄目。相手だけでは駄目。 本当の愛とは、二人で作り上げていくもの。 本当の幸せとは、その先にのみ待っているものなのだと。


という言葉で片付けられる話。
そしてヒロインの欠陥と主人公の欠陥をお互いに埋めあう話。
徹底的に主題が同じ話をしているだけ。
だから本校系のテキストの流れは基本的に以下の流れ。
殿子だけちょっと違うがそれは後述。

両親に捨てられた過去自分は誰も見捨てたくない(カッコいい行動を示す原動力) 滝沢の両親に感謝して尊敬しているから彼らと同じように私達に救いの手を差し伸べた。 本当の両親を軽蔑し、憎悪しているから誰も見捨てない →だけど心の奥では人を信用していない・愛される人に捨てられるのが怖い(心から愛せない原因・自分でも気付けていない原因) それでも彼は恐れているのだ 愛してなお全てが失われるかもしれないということを。 →近づくと無意識のうちにそれ以上近づくのをやめる それをどう克服するのか




風祭みやび

・救いの手
ツボ(2話)、草野球(3話)、三嶋鏡花(4話)、秘書(5話)。

そしてみやびの行動の本質を見抜く

ほんのちょっとでいいから家族に愛されたい。期待に応えたい。 ただそんなちっぽけでささやかな期待のために懸命になっただけなのだ。 その結果すべてがすれ違った。 学院生達を傷付け、教職員に嫌われ、そして自らをも苦しめた。(4話)

・そしてみやびに
こいつに出会う前の自分がどれだけ意固地で愚かだったか。(6話)
というみやびの欠陥に気付かせ、海水浴に誘われるほど周りとの関係が良好になる。
7話ではみやびは司への恋愛感情に気付く
あたしは、滝沢司を、愛している。(7話)

・と近づいていくうちに、司もみやびに対して単なる救いの手を差し伸べる相手ではなく、それ以上の感情が芽生え始める
そこには優しい笑顔に包まれた理事長の姿があった。 予想外のそんな表情に、僕は思わず見惚れてしまう。 何と言われようが構わない。確かに僕はこのときの彼女に、心奪われていたのだ。(8話)

・しかし、
「仲良くなって、人を愛して、それでなお再び捨てられる恐怖。」
という司の欠陥が明らかになっていく。
あたしがあいつを愛している事ぐらい、あいつ自身気付いている筈だ。 気付いていてなお応えない。なのに拒絶もしない。今のあいつはただ受け止めるだけだった。(10話)

恋愛恐怖克服法
お金も権力もなく、顔も貧相。 僕は彼女の求める力を何一つ備えてはいなかったのだ。 この時の僕は完全にそう考えていた。 しかし実際は違った 自分の真実から目を反らし、そういう考えに逃げ込みたかったのだ。 本当はお金だの権力だのはそこから目をそむける自分を正当化する言い訳に過ぎなかった。 それを許さなかったのはリーダさん。学院の中では、僕にとって重要なもう一人の人だ。(10話)

このシナリオにおいて問題を解決したのはみやびではなくリーダさんだったところが一つのポイントとなりえたのかも。
この点が社会性という名での歪みを生んでいるのかもしれない。
愛しているのはみやび、しかし司を直接救ったのはリーダという歪み。

みやびではなく、リーダさんが解決してしまうのは仕方の無い事なのかもしれない。
リーダさんが優秀すぎかつみやびに関しては恐ろしく行動力が高いので、みやびの前にリーダさんが気付いて行動してしまう。
みやびも優秀だがリーダさんはその上をいく(周りが優秀すぎるのも困りものみたいな台詞がどこかのルートであったような…)。

このゆがみの点については容認することで深く触れずに終わっているが、エンディングでもみやびというよりリーダさんとの関係を噂されてる以上、歪みまくってるのは否めない。
さらにいえば誰も見捨てられない司にとってはリーダも救っているわけで。…クリスマスに指輪をみやびとリーダの二人分買うこともありました。
しかし、この歪み方(一人だけでなくみんなが救われる終わり方)こそが理想という名の健速さんの考え方なのかもしれませんが。
その方向性は
リーダ「滝沢の方々が司様を救い、司様が私達を救った。ならば私達は誰を救うのか?お嬢様は以前そう仰っていました」(エピローグ)
という台詞にも表れているかなと。
みやびは自分達や身内だけでなく、学院みんなを救おうとしている壮大な理想を掲げたエンディングだということ。


実際のところ単なる
「これは僕らが大事な事に気付いたというだけの、ごくごく当たり前の物語だ。」
のはずなのに、終わり方に心打たれるのは後ろにみんなを救済したいというとても大きな理想が隠れているからであろう。

その片鱗がもしかしたらエピローグ「遥かに仰ぎ、麗しの」なのかもしれないが、

この美しい学院で教職人生を始める…それはきっと素敵な事……

と思わせる学院はいったいどんな学院なのか?は読者一人一人で想像してくださいということなのでしょう。みやびが成長するきっかけまでの話を書いておきながら、その結果何を成したのかは見せてくれない、いじわるなゲームですよね(ぉ


蛇足
あとはみやびとリーダの両方を救わなければ、みやびとリーダで司を取り合うという恐ろしい三角関係シナリオになりうると同時に、完全な意味でみやびを救い得ないという複雑なお話で。
みやびを救うということは、みやびだけでなくみやびとリーダの両方を救って初めて成り立つということ。

みやびは目を細め、もう一度リーダさんを見た。 なんだか自分の指輪を貰った時以上に嬉しそうな、そんな感じがする。(10話)




鷹月殿子

自由とは一体何か。

・救いの手
殿子「海を。この広い海を、自由に何処までも行けたら素晴らしいと思うから」 司「だがな、鷹月。海だって自由ばっかりじゃないんだぞ?」 司「勢い込んで飛び込んだは良いがな、そのままおぼれる奴も居るんだ」 自由に憧れながら、常に眺めていることしかできない少女。 背負わされた運命と期待から逃れられずにいる少女。 それが鷹月殿子という少女の世界だった。(3話)

殿子「司みたいな人が私のお父さんだったら、どれだけ楽しかっただろうなって」 彼女が求めてやまないのは結局、人の、家族の温もりだった。 決して自分に向けられる事のなかった父性。そういったものを彼女は求めていたのだ。(5話)


実に優秀な殿子の欠陥は単純。だけど鷹月家という大きいものが絡んでいるから解決が難しいだけ。

自由に憧れながら、常に眺めていることしかできない、いや眺めることしか「しない」少女だということ。
だから、自由のその先を知らない。
司「勢い込んで飛び込んだは良いがな、そのままおぼれる奴も居るんだ」
→そんな風に考えたこともなかった殿子。そして泳げないことを泳げないから自由にならないと考える(だから自由の本当の意味を知らない)
→だったら泳げるようになれば自由になると考える司

この話は、みやびと同じく(梓乃も同じなんだが)「これは僕らが大事な事に気付いたというだけの、ごくごく当たり前の物語だ。」
ただ、司の欠陥にはあまり触れず、殿子が自由の意味に気付くまでのことにウエイトのほとんどを占める話になっただけ。

自由に生きるという事は、きっとこういう事なのだ。 困難に際してあきらめるから自由にならない。 困難に際してなお、揺るがない意志と強い行動力を示し続ける。 自由と言うのはそのように顕されるものだったのだ。 自由とは状況や手に入れたりできるような種類のものではなかった。 ただ内から溢れてくる強い心で、示し続けるものだったのだ。 意地でもこの人を離さない。家が邪魔しようがどうしようがそんな事は知らない。この人と共にあるためなら、何だってできる。 仮に駄目でも、出来るまで何度だって挑む。 私が選んだ人は、そういう人なのだから。(11話)


もう一つのメインである恋愛恐怖克服に関しては…
とりあえず親子ということで進んでいく(5話)。
チャンスはあったけど近づかない(7~9話前半)
殿子は家庭環境、主人公は過去が理由(ただし主人公は自分の理由には気付いてない)
一人になる(9話)
結局、彼女は最後の最後では僕を頼ってはくれないのだ。 きっと僕らは、お互いを必要だと感じながら、それを認めることが恐ろしかったのかもしれない。
気付く(10話)
殿子「恐ろしかった。貴方を愛してなお、引き裂かれてしまう事が。貴方の未来を黒く塗りつぶしてしまう事が」 殿子「そして何より、貴方の自由を奪ってしまうことが恐ろしかった」 そうだ。そうなのだ。 僕もそれを恐れていたのだ。 愛し愛されその上で引き裂かれる。

殿子が司を遠ざけた理由が、そのまま司に当てはまることからそのまま乗り越えるパターン。
みやびルートや梓乃ルートでは一人になる前に司の欠陥を叱責して決着をつけたのに対し、殿子では一人になった後によりをもどすパターン。殿子に関してはみやびや梓乃の話と比べて主人公のトラウマを大事にしていない話なので、これ以上作中の文章から触れようがないのですが…。
殿子と主人公だけで解決したわけではなく、梓乃というキャラが一枚噛んでいてくれるので、そこが今までのように「愛してるけど信頼しきれない→そのまま別れた」という流れになるのをせき止めたといえるのかもしれません。


蛇足
・殿子ルートでの梓乃の感情を追っかけるのも面白いとは思うけど、書くまでもないことなのでわざわざ書きません。殿子→梓乃と攻略した方は、もう一度殿子をやるとあのときの梓乃の感情はこうだったと理解できるかと。
殿子ルートなので梓乃に直接触れた記述は少ないけど、それも楽しみの一つになりえると思います。

・エンディングがご都合主義的に破綻した話になっているのは、エンディングにそれほどウエイトを置いてないだけかもしれない。
諦めないことが大事と伝えたいだけの話ともとれなくもない。
この終わり方はとても綺麗なもので、希望を抱かせる素晴らしい終わり方。
「私を月へ連れてって」それを言い換えると「あなたを愛しています」 =私を自由にするために諦めないあなたを愛しています。

実際殿子の話は、細部を見ると破綻しまくりなんだけど、そういう視点に鈍い私でさえいくつか挙げられる。しかし、今回それに触れるつもりはない。それは他のレビューさんを当たってくださいね。作者はそんなことを言いたいわけじゃないのだから。




八乙女梓乃

梓乃のストーリーが一番明確な形でお互いの補完ができている話と思っています。そして本校系の理想的で綺麗な話の方が分校系のドロドロしながらも真理をつく巧い話よりも好きだから、私は梓乃の話が一番好き。


梓乃の欠陥は最初から見えてますが。というか話自体わかりやすいので書くだけ本編をなぞるだけのことになるんですがね。
対人恐怖症
これは殿子との別ベクトルでの他人への無関心。

恐怖を乗り越えるための布石が、殿子と梓乃の二人だけの世界を壊す滝沢司
他人に働きかけないことで今までを乗り越えてきた梓乃にとって、殿子との二人だけの世界を取り戻すためとはいえ行動をすることは恐怖。

だけど、恐怖を忘れた瞬間に見た滝沢司という人物は、梓乃が今まで思い描いてたような人ではなかった
それがハイタッチのシーンと肝試しイベントで明らかになっていく。

ハイタッチ。 彼女が恐怖症を抱えているのは解る。 だけど今この瞬間、どうしてもそれをやっておきたかった。 それくらいに嬉しかったのだ。 パシン。 打ち合わされた手。 それは思いもよらない、突然の出来事。疲れていた事もあって怖がる余裕もなかった。 確かに怖かった。他人に触れるのは何よりも恐ろしい。 けれどあの時は確かにああするのが正しかった、そんな気もするのだ。 ………穏やかな瞳だな。 それが彼の目を覗き込んだ時の第一印象だった。 まるでお父様が、おじい様が、わたくしを呼ぶ時のような声。 ずっと気付かなかった。 彼がそんな風にわたくしを呼んでいたという事に。(6話)

そして滝沢司という人物を理解し信頼をするようになるのが8話。ここで恐怖症という体質はともかく、心理面での恐怖症からは解消されることに。
梓乃「信じていますから」 梓乃「先生はわたくしを守ってくれるんだって」 梓乃「………そして貴方はそういう信頼を裏切らない人だって」(8話)
そして、9話・10話・11話と梓乃は成長していき、12話では逆に司を助けることになる。
10話で司の弱さは梓乃の弱さと同じ質のものであるという話。
11話で司が梓乃を助けることで得られた強さ。
12話では10話で語られた司の欠陥が梓乃と同じように逃げていることから生まれるものであることを利用して解決する。
それが司の欠陥を乗り越えさせる「八乙女梓乃のやり方」。

先生は、わたくしと同じなのだ。 手酷い裏切りを受け、そして別の誰かに救われた。 この人も、わたくしと同じようにして苦しみの中を抜けて来たのだ。(10話)

司「生きろ梓乃ッ!!お前が掴んでるのは僕の手なんかじゃないっ!!お前の人生なんだぞっ!!」 手を握らないという事は、他人を恐れるという事は、慣れた環境だけに逃げ込むということは、命を、そして人生を投げ捨てる事に他ならないのだ。 これはわたくしの未来。わたくしの人生。 他人の手を放すという事は、自殺にも等しい行為なのだ。 そんな当たり前の事が、今になってようやく解ったのだった。(11話)

梓乃「貴方が掴んでるのは、わたくしの手なんかじゃない!貴方の、貴方の人生なんですよ?!」 今この子の手を放してしまったなら、今後僕は誰の事を愛せるだろう? ずっと逃げ続けるのだろうか?今後も僕を愛してくれる人間の全てから。 それで本当に生きていると言えるのか?そこに一体どんな未来が待っている? 確かにこの細く小さな手は、確かに僕自身の人生そのものだったのだ。(12話)


「互いの救済」という意味で究極的に綺麗かつハッピーエンドになる話。だから自分はこの話が本当に好き。
梓乃の対人恐怖を乗り越えるきっかけがハゲなのが納得いかないけどね(笑)

全然関係ない話だけど、第一印象が最悪だとそれ以上悪くならないから、しばらくしてその人の意外と良いところが見えると好感を持てるなんて話を知人と交わしたことがあるけど、この話は正にその典型例な話ですよね、きっと。


分校系考察につづく…
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